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目前分類:有關賽德克(Sdeiq) (4)

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賽德克族Seediq),台灣原住民的一個族群,原本被列為泰雅族的一支,經過多年的正名運動,終於在2008年4月23日成為第14個中華民國政府官方承認的台灣原住民族

 

賽德克族原本居住於現今南投地區,包含三個方言群體:

  • 德路固(Seejiq Truku),
  • 德固達雅(Seediq Tkedaya 或 Tgdaya),
  • 都達(Sediq Teuda 或 Toda)。

三百多年前,部分賽德克族人輾轉搬遷到現今的花蓮地區,發展出自己的文化,也演進了自己的語言。這些賽德克族人自認為是獨立的族群,要求正名為太魯閣族,並於2004年1月4日為中華民國官方所承認,正式成為台灣第十二個原住民族群[1]

2003年9月23日,南投縣仁愛鄉Sediq Truku、Sediq Tkdaya、Sediq Toda族名正名促進會在埔里阿波羅飯店成立。主張由三個方言群體的族人,於參酌學者專家意見後,共同決定族名[2]。要求政府暫緩花蓮「太魯閣人」片面正名為「太魯閣族」[3]

2006年3月29日,南投縣賽德克族文史傳承協會發函給行政院原住民族委員會,請其轉呈行政院,准予核定公告「賽德克族」為台灣原住民族獨立之族群,隨函附有賽德克族正名連署書[4]

2007年1月12日,賽德克族正名運動促進會在南投縣埔里鎮舉辦「賽德克族正名運動誓師大會」。議程之一為賽德克族正名宣誓,宣誓代表有[5]

  • 德固達雅語代表:高德明牧師;
  • 都達語代表:徐清文長老;
  • 德魯固語代表:余信平牧師;
  • 花蓮德魯固語代表:楊盛塗校長;
  • 英語代表:孔文吉立委;
  • 日語代表:Yayuc Napay;
  • 國語代表:陳世光鄉長。

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以下出處為

http://web.thu.edu.tw/mike/www/class/GS/GS-Project/yama/SeediqBalay/Watan-poster.html

コメンテーター: Sediq Youth(インターネット読書会)代表―ヤユツ・ナパイ(Yayuc Napai)さん
⇒資料のダウンロード 問い合わせ: バカン・イルカ (黄雅芬)、あるいは阿川まで)



左、ワタン・ディロー牧師(賽德克文史傳承協會理事長兼促進會總幹事)。右、ヤユツ・ナパイさん。
ワタン・ディローさんは、(阿川が知る限りですが)これまで数年にわたってセイダッカの正名運動の代表のような仕事をされてきました。現職は長老教会の仁愛郷巡回牧師で、13箇所の協会を巡回しておられます。

ヤユツさんは、今年立ち上げられたセイダッカの青年たちの読書会の、まあ、代表といっていいでしょう。青年たちで、セイダッカの歴史と現状について学び合おうというのが発足の意図だと思います。ヤユツさんは現在、日本の京都大学留学中で、そこでは原住民教育について博士論文を執筆中と聞きます。⇒賽德克(Sediq/Seediq/Seejiq)青年論壇
当日は、まず、ワタンさんからセイダッカの正名運動について、その根拠、歴史、現状などの話を伺った後、ヤユツさんから若者たちがなぜ今読書会を始め、どのような活動を目指すのかという視点から、ワタンさんたち”大人”たちの正名運動に対しての意見や感想をお聞きしようと思います。
その後、参加者を交えて討論、意見交換の予定。興味のある方、誰でも歓迎です

背景
知られているように、「台湾原住民」については日本時代に日本人民俗学者などが分類した”9族”という分類を中華民国時代にも踏襲してきましたが、2001年にサオ(邵)が第十番目の原住民族として”認知”されたのを皮切りに、2002年にガマラン(?瑪蘭)、2003年にタロコ(太魯閣)が、2007年1月にサキザヤ(撒奇莱雅)が、それぞれ第十一、十二番目、十三番目の原住民族として”認知”されました。現在は、ですから、13族というのが台湾政府の正式認定ということになりますね。
こうした運動を「正名運動」と一般的に呼びます。日本時代、国民党全盛時代を通して、外から「お前たちは一つの集団(族)である」と押し付けられた名前、集団としての括り・・・そういうものを、”自分たち”の視点から「正して」いこうというのが「正名運動」でしょうか。
タイヤルと分類されてきた集団には、大きく分けるとアタイヤルとセイダッカという二つの”異なる”社会があると言われてきました。その二つの中が、また言語や歴史や社会組織などによっていくつかに分かれる可能性があるわけですが、ここではセイダッカについてだけ、少し書きます。
セイダッカは、霧社事件の際の抗日集団というイメージがあるかもしれませんが、蜂起に参加したのはセイダッカのすべての部落ではありませんし、またセイダッカだけとも言えない。歴史的な移動の経緯の違いから、セイダッカの内部は三つの(セイダッカ語の三つの変種とも言われますが)集団に分かれるそうです。その三つは、タクタヤ、トーダ、トルクの三つです。大雑把に言うと、タクタヤは霧社を中心とした地域、トーダはその北東、そしてトルクはその東・・花蓮方面に移住した人たちも含まれる、ということになろうかと思います。霧社事件で中心的な働きをしたのはタクタヤの人たちですね。で、相当部分が日本の報復によって殺害され、生き残りは現在の清流に隔離された。で、霧社のタクタヤの部落は、主にトーダの人たちに日本から”与えられた”わけです。
花蓮のトルクの人たちというのは、上段で述べた「太魯閣」として2003年に正名しています。この辺が分かりにくいと思うのですが、”同じセイダッカの中のトルク”と考えると、なぜセイダッカとして正名しないで、太魯閣として正名してしまったのか/してしまい得たのか。「正名」という概念の定義からすれば、それはトルクの人たちがどのように自分たちを認識するかの問題だからトルクの人たちの自由ではないか、という風にも言える一方でセイダッカとして正名すべきだと認識していたトーダの人たち、タクタヤの人たちにとっては、一種の「裏切り行為」のように見えるとしても、それは理解できないことではないですね。同じトルクの人でも花蓮ではない人は今、太魯閣に属するべきなのか、セイダッカの正名を待つべきなのか、複雑な決断を迫られている人もいるでしょう。(そのような人たちの多くは、太魯閣ではなく、タイヤル属のままにしているとも聞きます。太魯閣に住んでいても同じようにタイヤル属のままにしている人もいます。)
もし、セイダッカという正名が実現した場合には、トルクとセイダッカは、別々の集団ということになり、そのように台湾政府が認知することになります。が、そういう分け方が、歴史や”民俗学・民族学”などによって支えられるとは(とりあえずは)思いにくいです。それでも政治的な判断として、トルクとセイダッカは別なんだということは可能です。なぜ、そもそも、台湾政府は2003年の時点で太魯閣を独立の”族”として認定したのだろうか?そこにどのような政治的、歴史的、経済的な事情があったのだろうか・・・・そして、そのことはセイダッカの正名運動に、現在、どのような複雑性を投げかけているのだろうか?
2007年9月14日阿川記

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2007-11-28 22:53:30

【記者陳威任台北報導】

莫那魯道所領導的「霧社事件」,是所有人都熟知的歷史事件,但是莫那魯道是哪一族人呢?昨天一群來自南投及花蓮的賽德克族人(Sdeiq),為了賽德克族的正名,到行政院原住民族委員會進行討論協商,他們共同的心聲,就是以賽德克族的身分在自己的土地上生活。

2004年,當時的行政院長游錫宣佈太魯閣族成為原住民族第12族,鼓勵了系出同源的賽德克族進行正名運動,但也成為賽德克族正名的問題。

「沒有學者的背書,也沒有徹底了解實際的族群情況,在還沒有協調出共識的情況下,政府就宣佈了太魯閣族的正名,這樣的決策實在太粗糙了。」牧師瓦旦吉洛表示,很明顯的,太魯閣族的成立是當初執政者的選舉考量。

原民會主任秘書林江義表示,他對於賽德克族的正名運動,感到十分敬佩以及認同。他指出之所以需要這麼久的時間,是因為一個族群的認定必須經過一定機制的評量,原民會已經委請政大教授林修澈進行學術調查。

「每個民族的產生,都是人民的權利及義務,民族的成立是需要得到眾人的祝福,而不是留下具有爭議的問題。」林江義表示,原民會沒有反對賽德克族的正名,但現階段有些問題是需要被釐清的。

由歷史看賽德克族

為 什麼太魯閣族可以迅速的正名成功,而賽德克族的正名至今卻還遙遙無期呢?從日據時代開始,太魯閣族以及賽德克族都被歸類為泰雅族,但事實上,從起源傳說、 語言等各方面來看,賽德克族以及太魯閣族係屬一個族群,被稱為賽德克亞族(Sedek),通常分為德克塔雅(Tkdaya)、多達(Toda)、太魯閣 (Turuku)三群。

太魯閣主要分布在花蓮縣北部,而賽德克族則是以台灣中部及東部地域為分布範圍,以中央山脈為界線,可以分東、西賽德克族。既然太魯閣族以及賽德克族都屬同一群體,賽德克族正名運動遇到的第一個難題即是:太魯閣族和賽德克族的分別為何?

政府草率造成族群傷害

「這就是問題的所在,為什麼當初太魯閣族成立時,不見原民會以及專家學者提出疑問?當初的草草行事,才會造成今天的問題,賽德克族不能因為政府的疏失而被犧牲。」賽德克族人Awi說,這是政府的問題,不應該是賽德克族人在證明時所該解決的。

「我們和太魯閣族是兄弟,所以我們祝福太魯閣族,但是現在我們居住在南投仁愛鄉的族人,戶口名簿上都只能寫著泰雅族,因為我們知道自己是賽德克族,所以我們也不願意改成太魯閣族,那我們該如何呢?」Awi認為不管政府態度如何,正名運動勢在必行。

由於目前太魯閣族規劃的自治區範圍暫定為花蓮縣秀林鄉、濁溪鄉、南投縣之奇萊區、巴托蘭區、萬榮區、德魯灣區,這與部分賽德克族人活動區域重疊,賽德克族人擔心,如果自治區定案,將會讓太魯閣族以及賽德克族之間產生更多問題。

正名路難行 族人擔憂

「為什麼賽德克族要求正名,卻要其他人來同意?為什麼賽德克正名要由認識我們不到50年的人來認定我?」長期投入賽德克族歷史的郭明正憤怒表示,沒有任何一個民族可以決定任何一個民族的未來。

雅幼滋是在日本京都大學就讀博士班的賽德克人,她表示賽德克不是新民族,而是有悠久歷史並且見證台灣歷史的族群,政府不能因為當初決策失當,不能因為可能引發的骨牌效應,就不讓賽德克人正名。

年邁的賽德克族耆老以族語緩緩地說著,他小時候一直以為自己是泰雅族人,直到長大後看過文獻才知道自己是賽德克族人,他希望能夠有一天,看到自己的子子孫孫稱呼自己為賽德克族。


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2007/11/17 中國時報

「賽德克」拚正名 爭列第14族

沈揮勝、簡東源/南投、花蓮報導

南投縣仁愛鄉賽德克族各部落,以及來自花蓮地區分屬都達、杜固達雅語系的同族代表,十六日下午齊聚廬山溫泉區,就泰雅、賽德克及三年前被政府承認為第十二族原住民的太魯閣族,以學術研討正名釐清族群關係,並發表宣言爭取賽德克族列為第十四個原住民族。

賽德克族部分Truku族群,因政治操作被扶植為獨立的花蓮太魯閣族,其仁愛鄉原祖居部落Truku居民感到相當困擾,而包含Truku及杜固達雅、都達三系的賽德克族人,究竟要算哪一族?也讓部落居民很傷神。

但太魯閣自治區副主委李繼生表示,太魯閣從遷移歷史上來看,已脫離賽德克,而太魯閣族人也深深祝福賽德克族能獨立成為一族。他認為二族在語言、文化、信仰上雖然類似,但還是有相當的差異。

李繼生說,賽德克族積極爭取獨立一族,太魯閣族樂觀其成。但是太魯閣族已透過合法的程序,成為原住民第十二族,不可能再推翻或合併。

賽德克學者郭明正表示,總不能用Truku以小包大、以偏概全作為全族名稱。母族「賽德克」尚未獲得政府承認,談到族群名稱,反倒成了「四不像」。

仁愛鄉公所研討會承辦人杜彩霞則稱,住在花蓮的都達和杜固達雅,也不可能錯認自己為太魯閣族,而真正住在Truku祖居地的靜觀、平生居民,更是情何以堪,外移的族群「幫自己命名」。

杜彩霞認為,三個支系應該趕緊凝聚起來,分裂不太好。而主導正名活動的牧師瓦旦吉洛則希望各系以更嚴謹態度,共同找出大家能接受的名稱,解決過去所有的紛爭,爭取列入第十四族。

瓦旦吉洛強調,太魯閣族既已成立,就認清這個事實,如果有人願意回歸「賽德克」,大家敞開心胸歡迎。賽德克爭正名是「尊重」,不是「併吞」,而是希望用誠意、理性和溫和的方式解決問題。

這一項正名研討會由仁愛鄉公所及「賽德克族正名運動促進會」共同主辦,受邀列名者為八十六人,實際到場關心者逾百人。


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